「お題箱」へのイラストリクエスト、ありがとうございます。
★日本海軍の重巡組が見たいです!
★リクエストありがとうございます!遅くなってしまいましたが、ネームシップの子たちを描きました!
「こんにちは、古鷹です。古くて頼りないかもしれませんが、妹や、他の重巡洋艦たちとともに頑張りますよ」
1925年進水の重巡洋艦の長。分け隔てなく、すべての重巡洋艦たちを導く優しい存在。
当時カテゴリー分けされていなかった巡洋艦が、ロンドン海軍軍縮会議で「6.1インチを超え8インチ以下の砲備を持つ10,000トン以下の艦」=「重巡洋艦」と定義されたため、一等巡洋艦として建造された古鷹型は、川の名前(=軽巡洋艦の命名慣例)を持った重巡洋艦となっている。
1936〜39年に主砲や艦橋など、各種兵装を改良し、戦争へと突入した。若作りではないです!
1942年10月11日、第六戦隊として出撃中、アメリカ海軍と会敵した際に、旗艦・青葉を庇い集中砲火を浴び、その後12日沈没した。
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「私が青葉だけど、何か問題でも?……ちょっと!無視すんな!」
強運(凶運?)が海の上を走っている。それが青葉。
恐らく一番有名なのはサボ島沖海戦における「ワレアオバ」かもしれないが、きっと本人にとって一番思い出したくない逸話と思われる。
自分も、他の艦も、乗組員も、沈むことをよしとせず、何度も死の淵から舞い戻り、また日本へと帰還している。
彼女自身は飄々としている風だが、古鷹のこともあって、常に自責の念に駆られているからなのかもしれない。
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「やっぱり妙高型がいっちばーん!」
那智の方が先に竣工しているため、那智型とされることもある。
主砲は20.3cm連装砲5基10門。古鷹型、青葉型が(改装後で)20.3cm連装砲3基6門であるため、火力はかなり強化されている。その代わり、居住性が犠牲となった。妙高型以降、高雄型と最上型も主砲は5基となっている。
多少の不具合もなんのその。多くの主要な作戦・重要な海戦に参加し、最期は高雄とともにシンガポールの港で、防空艦として終戦を迎えた。
現代においても名前を継いだイージス艦がおり、その性能とスター性の高さにたいへん満足しているらしい。
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「……」もじもじ
大きな艦橋が特徴的な重巡洋艦。
進水式には大量の人が押し寄せ、ラジオでも式典の模様が中継されるなど、大いに祝福された。ただ、本人は緊張しいだし、愛宕の方が先に竣工して姉だと思っているため人前にはあまり出たがらない。
南方での上陸作戦、蘭印作戦をはじめとし、アリューシャン作戦、第二次・第三次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など、多くの主要な作戦・戦闘に従事し、戦果を挙げたツワモノ。
同じく重巡洋艦でネームシップの妙高と同じ船台で起工したため、妙高に親近感と憧れを抱いている。そして最期もまた、彼女と共にあった。
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「最上です。前方不注意?……すみません、気を付けます」
重巡洋艦の命名慣例は山の名前となっているが、最上型は川の名前(=軽巡洋艦の命名慣例)となっている。ロンドン海軍軍縮条約の穴をつき……もとい、条約を遵守した結果、軽巡洋艦として建造されたからである。これは利根型も同じ。
誤って味方を沈めてしまったり、他の艦にぶつかったり、ぶつかられたり、何かと不幸に見舞われている。
呉海軍工廠生まれ、15.5cm三連砲を大和に譲ったり、藤本喜久雄少将の先進的な構造論が大和型に多く反映されていたことから、何かと大和に縁のある艦なのである。そのため、桜艦の中では唯一、大和と同じ制服となっているという、わりとどうでもいい設定。
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「私は利根と申します。索敵はお任せください」
前方甲板に集中的に主砲が配置されているのが特徴的な利根型。この配置により、水上機の搭載能力が大幅にアップしている。
豪華客船に定評のある三菱長崎造船所で生まれたことが影響しているのか(?)、居住性もたいへん良好で、乗組員からの苦情は殆ど無かったとか。
ただ、前述の最上の不具合改善に予算をつぎ込んだこともあり、利根の姉妹艦は筑摩のみに留まっている。
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リクエストありがとうございました!
当サイトでは、旧サイト時代からの作品も含め、重巡洋艦をあまりピックアップしないため、初出しの子たちも何人かおります。
特に最上は大和型との関わりもあったりで、前々から出したいと思っていながら(キャラデザ自体は2014年時点で既にできていました)、恐らく今回ようやく初めて表に出した気がします。もしかしたらTwitterで落書き程度のものをアップしているかもしれないですが……
巡洋艦たちは時代背景がかなり影響しますから、個々の存在がどういった目的で作られたのか調べてみると、様々な事情があって面白いですね。