2日目は午前は大洗、昼に移動して、午後は笠間の方に行きました。
それでは、午前中ダイジェスト。
朝、身支度を済ませたらホテルの朝ごはんを食べ、早々にチェックアウト。大洗シーサイドホテルさん、本当にお世話になりました!
マリンタワーに向かって歩きます。タワーの展望台の下の階にある、ガルパンカフェに訪れました。開店時間すべり込みで難なく席に座れたんですが、帰る頃にはものすごい行列になっていましたね。
ローズヒップアフォガート、たいへん美味しかったです。(2人して写真を撮り忘れるとい失態)
あとは商店街のガルパンパネルを探しながら大洗駅へ。
さようなら大洗。また来る日まで。
そして電車移動して笠間。
目指すは筑波海軍航空隊記念館です。
伊差川「歩けないこともない距離やけど……」
夜井「タクシー使おう(提案)」
着きました。
以前から来よう、来よう、と思っていたのに、いつの間にか5月になっておりました。
ボランティアの方に解説していただきながら館内を見学。「永0」ポスターの前で記念写真も撮っていただきました。ありがとうございました!
ロケ撮影に使用されたお部屋たち
最初に映像室で解説映像を見ていたのですが、その中でも一際心に残ったのがこちらの藤田暢明少尉とその妻、睦重さんのお話。
睦重さんの両親は睦重さんが未亡人になることをよく思わず、暢明さんとの結婚を反対します。しかし、両親を説得し、二人はついに結婚を許されました。しかし、時を待たずして暢明さんは特別攻撃隊として出撃し、壮烈な最期を遂げます。
睦重さんは、暢明さんのご実家で彼の遺影と結婚式を挙げ、亡き人の妻となりました。
こちらは金井正夫少尉が、文通相手だった女学生にお送りしたペンダント。
爆撃機の風防ガラスを削って造られています。
号令台
ここで多くの若者が訓練に励み、そして戦争の中で散っていったことは心に留めておきたいです。
本来ならばこちらの記念館は2014年5月6日までの限定公開でしたが、公開延長に次ぐ延長のおかげで、今回見学することができました。多くの人々に見学してもらうため、できる限り、長く公開していて欲しいです。また、私たちが訪れたときには特にそういったことはなかったのですが、当事者の方々からのお話が聞ける貴重な機会も設けてくださいますので、次回はぜひ講演会が行われる際に行きたいですね。
地下戦闘指揮所は3月末で公開終了だった為、見学はできず終い。(本来も土日しか公開していないので、日程的にはどのみち見られなかったのですが……)
以前にとあるフォロワーさんと飲みに行ったときに、
「沖縄が艦砲射撃や機銃掃射を受けてるときに、特攻機が来るでしょう。そうするとね、対地攻撃が一瞬止んで、砲撃が特攻機に向けられるんですよ。そうしてる間に住民の方がこう水を汲んだりできてたと考えると、やっぱり(特攻は)これっぽっちも意味が無いことだとは思わないんですよね」
とお話しして下さったことがありました。
特攻については目を逸らしていいような話ではないと思いますが、精神的に物凄く削られるので、私はあまり特攻の話が好きではないです。
しかしながら、その方のお話を聞いて、前よりはちゃんとそういったことを話す姿勢も取れるようになったのかと思います。戦う場所がどこであるにしろ、帰れない戦いに身を投じることと当事者の方々の気持ち、それを理解するのはあまりに難しく、まだまだ考えさせられることだらけです。
自分の「これだ」という考えを話すには至りませんが、たいへん勉強になった日でした。
本日の歩数:16,882