クルト・タンクの子どもたち
フォッケウルフ社にて、彼の手によって生まれた傑作機たち
戦闘機
初飛行:1939年6月1日
「サラブレッドではなく軍馬を」というコンセプトのもと開発が進められた戦闘機。
ドイツでは珍しく空冷エンジンの機体である。
頑丈な機体、整備の手軽さ、発展への余裕を持ち、高い汎用性から多くの戦場で運用された。
D型から液冷エンジンを搭載し高高度性能を改善、後にTa152に発展する。
戦闘機
命名:1944年1月18日
「究極のレシプロ戦闘機」と謳われるTa152はFw190D-9から発展した特殊高高度戦闘機である。
設計者であるクルト・タンクのこれまでの功績をたたえられ、彼のイニシャルを付与されている。
実戦テストでは高度約12,000kmで750km/hの速度を発揮する。
数々の改良を重ね戦場に送り出されたが、ついに戦況を変える事はできなかった。
偵察機
初飛行:1938年7月23日
「単発エンジン」「三座」「良好な視界」
ドイツ航空省が求めたのはこの3つを兼ね備えた偵察機だが、FW社が送り出したのは1つ目の要求を完全に無視した双発エンジンの飛行機だった。
しかし双発ゆえの生存性と汎用性の高さを買われ採用される。
偵察のみならず夜間戦闘機としても運用された。
旅客機/長距離哨戒爆撃機、長距離輸送機
初飛行:1937年7月27日
長距離の哨戒爆撃機として軍に徴用された四発の旅客機。
1939年11月ごろから実戦投入され通商破壊を担い、合計約35万トンの商船を沈めるなどの戦果を挙げる。
1943年頃から戦況の悪化により哨戒爆撃の任務から外され、輸送機として運用された。